こつせき・ほめうた
骨石頌
―生きながらいってしまった男のために―華士・かし
(更新2004年05月01日)骨石の名を口にするたびに私の胸はかきむしられる。あんな素晴らしい純粋な魂を持った男が、どうしてこの世界でいわゆる不遇のまま朽ち果てねばならなかったのか。やはり神は死んでいるのか。私は、みじめにいった骨石の埋もれてしまった遺作をわずかでも日に当てたいと思う。この一文は骨石を称えるために骨石の作品群から霊感を受けながら草した。
さて、あのような数々の光り輝く作物をものした者が、なにゆえかように軽視され無視され果てに抹殺されなければならなかったのか。この不合理に私は慨嘆の念を押さえることが出来ない。
確かに彼は不道徳だったかもしれない。倫理観に欠けるところがあったかもしれない。生涯の不遇は自らまいた種(無駄にまき散らした膨大な量の精液)のせいだともいえよう。
だが骨石のそれら悪行はこの世界の中で日々起動され終了されていく無数の不条理、理不尽、惨憺たる破局の数々に比べていかほどの罪の重さがあるだろうか。
無論、例えば南の方で起こる無差別大量殺人と中央線のある車両の中である瞬間に女子大生が受けた痴漢行為とを同格に扱うことはできない。たとえそれが軽微な罪のうちにも入らない指さえ入れずにただ女子の股間の敏感な一点をわずかに下着越しに突いたに過ぎないほどの取るに足らない一滴の愛液させにじむことのなかった春風のような乾いた風が吹きすぎた後、記憶の隅にも残らないことであったとしても。
無辜の民の目を覆う死の惨状には、飽食女子大生の股間に伸びた男の指が、まさに濡れかかる女陰に至ろうとする直前にぴたりと太股を閉じさせるだろう。
だが骨石にとっては、ユーラシア大陸の西方で起きた惨事も丸の内のオフィスの書類倉庫で女子事務員が係長に乳房を触られたことも同位なのであった。
重要なことは、その時人妻がどういう下着を着けていたのか、外出前にはどんな事態を想定して衣類を選んでいたのかなのだった。さらに玄関を出る際に夫にい残した言葉、その口調、足取りなどにも注目しなければならない。
でなければ、どうして彼女は車の中で抱き寄せられたときに通り一遍の抵抗をしてみせただけで結局そのふくよかな乳を揉まれてうっとりとし、乳首を吸われてあえぎ声を発し、最後は大股を開いて挿入されて歓喜の声を上げたのかまったく理解できない。
骨石は人の世の誰もが無視して通り過ぎる矛盾を衝いてやまない。そういうものだと小賢しげに一蹴するのが文明人だとでもいうように嘲笑する非文明人を糾弾する。
文明国に暮らしているから文明人だとでも思い込んでいる中流階級に生まれ育ってきれいな庭とお洒落な下着に下半身を包んだお嬢さんには非文明人のたぎるような性欲の洗礼を受けられたほうがよい。
こぎれいな自室の寝台の上で優男の愛撫を受けながら愛される喜びを感じていたが、その男が勃起した陰茎を露出させて下着の上から女陰の辺りを突いてきた時は己の非文明を呪うべきなのだ。
そのときから二十年後、自分は果たしてそのようなこぎれいだった愛撫体験を思い起こして現在の薄汚さを自覚しえるのだろうか。優男の愛撫は受け入れたが南アジアの悲惨な生活にはまったく関心がないとは何という恥ずべき無思考だろうか。
骨石の土台はここにある。大企業の女子社員は甘い恋愛も不倫もしてよかろう、毎晩でも淫乱な性生活を堪能すればよい。自分が股を開いて濡れた女陰を恋人の前にさらす時、西ヨーロッパに戦端が開く。恋人の課長補佐が黒い陰茎をお前にくわえさせたらしっかり舐めてはしゃぶりを繰り返すことだ。お前がそういう行為に慣れていないなら―慣れていない唇の動きも刺激的だが―課長補佐は大層喜んで、お前の長い黒髪をなでさすって愛でてくれる、一生懸命なそのしぐさに早めに口内発射で果てることだろう。
骨石はおそらく長い不遇な生活の中でこのような思想を構築したのであろう。不遇とは生活の不安ではない。精神の不安に他ならない。不安の中では世界のあらゆる事象が淫猥な光を帯びる。北米の文明社会といわれる村社会に観光旅行に行くのは旅行鞄の中に携帯式の性欲処理器具を詰め込んでいるようなものだ。
一体北米に留学に行く女子の中で避妊用具を持っていかない者がどれほどいるだろうか。日本を発つときに下半身の洗浄をしておかない女子が何人いるだろうか。
アジア方面に出かける女子はまさか先方で性交渉をしようとは思うまい。仮にその薄い脳髄の片隅にそのような発想があったとしても放っておくだろう。おそらくそこでは中出ししてもかまわないと思っているのだろう。
このような非文明人の矛盾を骨石は生涯衝いて回りたかったに違いない。しかし彼はろくに女子の股間も突くことさえままならずに終わった。彼の性能力が満開の時、彼の男性自身は哀れにも行き場がなかったのだ。
彼の肉体は哀れな陰茎と共に消滅したかもしれないが、魂は今も世界中の中空をさ迷い歩いている。常磐線の中で、百貨店の床で、中川宝飾店の硝子の中に彼はいる。
高価な自家用車のシートで惰眠をむさぼりつつ互いの肉体を求め合う男女も、明日にはまた今日と同じ愛欲に満ちた時間が保証されるだろう。女の乳首をこねまわし愛撫の雨を降らしていてもロシアでは寒気が衰える気配はない。
朝、ストッキングに足を通すその瞬間、恋人は別の女の体を引き寄せて抱きしめる。いやがる女にかまわず男は女の乳房をつかんでいる。
女は男の同僚であって体を許すいわれはない。しかし男にとって女は自分に好意を持っているはずだったのだ。
恋人が玄関で靴を履いたときには複数の山岳民族間で対立が激化し、制服の上から乳房を触られて女は意気消沈したが銃器は中国から来たものだった。
恋人にとって真実とは、至るところあらゆる時間に感じる一体感であったが、別の男性に乳房を触られたことを恋人に言うわけにはいかない。
抵抗の力と声は弱かった。というのも女は今夜のデートのために真新しく扇情的な下着を身に着けていたからだった。中国では武器製造も重要な国策産業である。製造場所を明示していない武器は少数民族に多く売られた。しかし恋人の男性も実は毎朝の痴漢行為に生きがいを見つけていたのだ。
骨石は世界と自らの矛盾と不条理を衝くために、あるいはそれらの解消処理のために己の陰茎をこそまず突いて処理したかったと思う。カナダでは今日も若い男が職を求めて女を抱く。それ以外にすることが思いつかない。
であるのに骨石は日がな一日女を眺めては自慰による性処理しかなかった。恋人ではない男に服の上からとはいえ乳房を揉まれたのは彼女にとって人生の重大事であったがその数分前には朝鮮半島で動乱の火蓋が切られ、恋人の男は電車の中で真向かいに座った若い女の股間に視線を集中していた。
同僚の男は二度三度と女の乳房を揉んだ。快い感触に閑職に甘んじていた男はしばし生きがいを見つけた思いだったが、それ以上に何をしようと考えかけたところで女が身をよじって逃げた。その瞬間、タイとカンボジアの国境を密輸の業者が通り過ぎた。日常的な光景だ。女に逃げられた途端に男は後悔し、すばやく頭脳を回転させた。女に向かって謝罪の言葉を発した。女が立ち止まった。
恋人はついに向かいに座る女子の股間の奥に下着を見て満足していた。女は女子短大に通う学生だった。今日の下着は白であった。肌色のストッキングから透けた白い下着は男の情欲をそそった。謝罪の言葉に立ち止まったので近寄り、今一度謝罪し、先に立ち去った男は、机に戻ってこれでいいのだろうかと悩み始めて仕事に集中できなかった。女の机は別のブロックなので、戻ったのどうか確認できなかった。
このような思考を孤独に続けた骨石は生きたままとうとういったのであったがその後も世界は大きな激動の渦を巻きつづけている。電車の中で居眠りをしていたために向かいに座っていた男性に白い下着をかいま見られてしまった女子大生はたまたまその日の午前、男友達に昼食に誘われたのだった。しかし彼女はそれを断った。断られた男子学生が自室に戻って何度も自慰をしたことは言うまでもない。
この世界を可能な限り全体的に見ることはできないかと骨石は苦悩に満ちた人生の中でその困難な試みを繰り返したが結果はいつも汚辱に彩られていた。いかに希望しても世界を支配しているといわれる神は骨石に苦痛のみを与えた。自慰に耽る学生は時には勇気ある若者でもありえたが、しばしば自堕落で覇気の感じられない男に見えた。
昼食を断られたのはまったくの偶然によるものだったが、視野の狭い男には相手の女が唾棄すべき存在としか見えなくなる。この日から男はこの女への憎悪だけで生きることになるのは必然だった。
怒りは対象を異にすることがある。翌日、別の女子学生に昼食を誘った男は快諾されて食事を共にした。楽しく食事をしながら男は沸き上がる怒りと性欲に負けて、その女子学生を自室に誘い首尾よく性行為に至った。激しい行為を行いながら男の脳裏には昨日自分を屈辱に落としこんだ女子のみだらな肢体が浮かんでいた。外交とは何かを真剣に学ぶ気もなく、外国人と接することに興味もない者が公務員試験に合格するだけで外務省に入省するのである。
行為の後に男はそらぞらしい思いにとらわれたが、瞬間の快楽に勝るものはない。引き続き二回目を行ったが女子の方にはまだ快楽はなく苦痛のみである。しかし学生生活を彩る男女交際は女の憧れだった。学生は学問だけをしに大学に行くのではない。以来二人は毎日性交をする。時には女が男の陰茎をくわえて射精させることもあった。それは主に月に一度のことであり、刻一刻とイタリアの政治情勢は変わりつつあった。それでも二人の学生生活は楽しく過ぎていった。
おそらく骨石自身矛盾に満ちた自己をもどかしくうとましいものと感じていたのだろう。そうでなければ毎日のように自慰を繰り返していた説明がつかない。空腹を満たすように同僚女性の乳房を揉み、時には陰部にも手を伸ばした。しかしオフィスでは人目がある。閣議は密室の会議だ。知らされるのは結果だけであり、経過は不明である。
過程にこそ真実はあると骨石は考えた。謝罪の言葉だけで罪が消えると考えたわけはない。しかし翌日も男は階段の途中ですれ違った女を抱きしめてしまった。やわらかな女の肉体。抱きすくめ豊かな乳房を揉んだのはほんの数秒間だったかもしれないが、至福の時だった。女は恥ずかしそうに小走りに去った。
たまたま階段を利用しただけで二度目の辱めを受けることに相成り、女は己が不運を嘆いたが、正午のニュースは相も変わらず中東情勢の不安を語る。女子学生は同性の女子同士で話すときは恋人のことをただ優しいとしか言わないものである。毎日性交しているとか時々相手の陰茎をくわえているとかの詳細までは語らない。語ってもいいのだが相手が自分を変な人間と思うのを恐れる。
昨夜は、初めは正常位で始まったが途中から騎乗位になった。もはや行為の快楽を覚えた女子学生だったがその悦びを友人の前でおおっぴらに言うことは恥ずかしいことであった。友人それぞれも激しい行為に毎夜溺れてはいても互いの性技術についての意見交換を行うことはない。それは個々で切磋琢磨するものだという暗黙の了解あるからである。皆現在の愛欲にふけり、永遠を信じて疑わない。
身を裂かれるような悔恨に、男はもうすまいと決心したが、北米社会は後戻りできない状況だった。女は羞恥で消え去りたい思いだった。夫にも言えず、思い切って相談した上司がいい人で男を解雇してくれた。安心した女とこの上司がまもなく男女の関係になったのはいうまでもない。
真摯に生きようとするとこの世界は実に生きづらい。骨石の指摘どおり、いい加減な生き方の人間のみが幅を利かせているのである。誠実な夫は妻の不品行を知らず、しかし会社で若い女子社員との会話に粗末な陰茎をわずかばかり勃起させている。抱きすくめて乳房を揉みたいと思うこともしばしばである。あわよくば裸にして全身愛撫したいと思うことさえあったが、鳴り出す携帯電話に激しい不快感を感じる。
感謝の気持ちで共にした食事であったがほどよく酔い痴れ上司に誘われて「つい」そういう所に入ってしまった。思い返せば馬鹿だったがこの世には馬鹿な者の方が圧倒的に多いのだ。多くの馬鹿者のように女は上司に愛撫されて体を開いた。多くの上司のようにその愛撫は巧みであり、ほろ酔いの中で女は羞恥を忘れ着衣を剥ぎ取られ全身を舐められ女陰に指を入れられあふれ出る愛液をすすられ陶酔のままに足を開かれ自らも開脚し上司の固くなった陰茎を挿入されたとき外れないように腰を安定させて深い関係になった。上司の性技術はさほど巧みではなかったが酔いのせいでなかなか果てなかった。ようやく射精したときには上司も自分も疲れていた。
行為の後の快美と後悔の錯綜。しかし上司の甘くやさしい言葉に女は諸所の問題を解消し、関係は続いた。それは結婚以来絶えてなかった生き生きとした生活だった。うるおいに満ちた充実の毎日は思考を停止させる。この素晴らしい人生は永遠に続くかと信じたくなったが無論そんなことはない。崩壊は目前だったのである。
世界が崩壊寸前の危機に見舞われようとも民の生活は容赦なく続く。やみくもに愛してしまったために解雇された男は電車の中で居眠りをしていて乗り越し、みじめさを募らせた。自分という存在を誇りたくもその内実はうつろである。
人生は会計帳簿をつけるようにはいかないものだ。数字は正直だが、人間は多くの場合不正直だからである。書き付けた数字は変わらないが人間は刻一刻と変化する。変化に追いつこうとつい手を伸ばすとそこには柔らかな女体があった。息を呑んでおそるおそる触れた白い体が、もはや見る気もしない。かつては丹念に舌を這わせて愛撫に飽くことがなかったものだ。
自己保身に明け暮れる殺伐たる生活の中での唯一の楽しみが一日数度の女子社員への愛撫であった。周囲に誰もいないときを狙い、目的の女子の背後に回る。そっと右手を女子の胸に伸ばす。手のひらに感じられるふくよかな乳房の感触に気が遠くなりそうだが二度三度と揉みまさぐる、この瞬間に生きがいがあった。
もちろん女子は嫌がって声を上げかけるが驚きと不安とに襲われた女子は高い声を上げられずに身を堅くするだけなのである。乳房の感触を味わっていると人のやってくる気配がする。もう少し乳房を揉んでいたかったが手を引いて女子のそばから離れる。今の感触だけで小一時間は快い人生の悦びを感じることが出来た。
女子は最前の屈辱を人に告げも出来ず、悶々としていた。やがて数次の行為が重なった。始めは衣服の上から右の乳房を揉むだけであったが二回目は両手で両方の乳房を揉まれた。それは一分ほども続いた。女子にとって永遠に近い長さの屈辱であったが男にとってはあっというまの快楽であった。そう、乳房を揉みながら男は勃起した陰茎を女子の背に押し付けてながら射精してしまったのである。
うつろな心でありながら実はそうではないように見せかける愚かな者たちを骨石は衝いた。空っぽであることを恥じる者こそ恥ずべきである。女に対して男であることを誇示する者に報いあれと骨石は説いた。誇示したいならばおのが陰茎を年中振り立てて歩けばよかろう。口説に頼り舌の回るのみに任せて世を渡る者に天罰は下るべしと語ったが、残念ながら世はこうした馬鹿者に従って構成されているのである。
骨石のこのような過激とも言える思想がそれゆえこの世で不遇を余儀なくさせたのかもしれない。自らを恃み借金を重ね返済不能になっても信念を変えなかったのは愚かであった。愚かさは自覚したくないので自慰に耽った。しかし自慰も飽きる。飽くまで自慰したのだ。この態度は尊重すべきだが、女子大生の不品行を嘆いてもことは終わらない。意外に端緒は開かれる。
言葉は空しいと骨石は繰り返した。しかし世は言葉によって従うのが常だ。甘い言葉に酔って酒にも酔って女は股を開いたのだ。夫には適当なことを言い、上司と毎日性交した。夫とはしなかった体位も行った。上司との情交は生きがいになりつつあったがその頃南米では何百年と変わらず酷暑の中無駄な争議は続いていたのである。人間は無駄なことをするものなのだ。無駄をやめて有益をしようとはしないのだ。
欲情は昂進する。女子の背で射精した男は後悔しながらも快楽の虜囚になった。四六時中そのことばかり考え毎日出社するのが楽しかった。出社しては女子を見て視姦した。視姦の後、人気のなくなった頃にさりげなく女子の背後に回り、笑いながら抱きすくめる。嬌声を上げる女子。
骨石は待てど暮らせど不遇が終わらないのに業を煮やしたかとうとういってしまったが彼が射精した無数の粘液は一体何処へこぼれたのか。女陰を飽くことなく突きたかったのに満たされぬままにただ老いた陰茎をぶら下げ、北米大陸は今日も無知蒙昧なままそこにあった。このように人の世は理不尽なことのみなのだ。
理不尽を嘆きつつも骨石は愚痴に終わることのないようにしたかったが残ったものはろくになかった。ほとんどはゴミであった。彼が生涯を賭けてなしたものはゴミであった。このようなみじめな人生が他にあったろうか。否、彼はそれさえ予想していたふしがある。
週明けに女子の一人が、廊下ですれ違った時に何か言ったのである。意味がわからなかったので聞き返したら顔をそむけたのでかっとなった。同時に、その女子の胸が豊かな盛り上がりを見せ、全身から匂うような官能が立ち上ってきた。反射的にその女子の体を抱き寄せたのは当然である。であるのに女子は身をよじって逃げようとするのである。まったく理不尽だと思いながらすばやく事を行うために下半身を剥こうとした。
涙と射精の量は半端ではなかったと思われ、世に多く住む愚か者よりは多くの物事を知っていたと思われる骨石でさえこの有様である。官僚と政治家の関係をこそ深く追求すべきだったのに彼は別の一点のみに関心を向け過ぎ、ついに突き損じたのである。まったく不運である。
しかし女子の下半身は堅く閉じられ、両足首をつかんで左右に広げた。それでも両膝が接近しており股間は白い下着が覆っている。それで次に両膝をつかんで左右に広げた。すると股が開いたが、相変わらず股間には下着の壁。そのまま突いてもどうにもならないのはわかったので学んだとおりに下着を剥いだ。ようやく女子の裸の下半身に遭遇できた。陰毛の密林であった。
こうして骨石の生涯は世の理不尽を衝く旅半ばにして何度目かの懸崖に至った。志を抱いて幾星霜、無理解と迫害、嘲笑と侮蔑の黒い雨に絶えず見舞われ、陰茎も萎える苦難の悪路である。
何も彼は暴漢でもなければ君子でもない。ただひたすらに突きたかったのだ。だからまだ濡れてもいない女陰に指を入れたのだ。だが恐怖にかられた女の女陰は皺が多く、指の侵入を阻む。濃い陰毛も邪魔であった。疲労してきたがやめるわけにはいかず、なおも指を進めると湿潤してきた。指は入った。そして陰茎を挿入した。女陰が収縮し、締め付けられた陰茎が反応し、射精した。抜去して廊下を短足にて去った。女子も去ったと思う。その後社内でこの女子は見ていない。
このように純粋すぎる魂の持ち主である骨石の生涯は自ら招いた不運ともいえるが、では北ヨーロッパの状況をどう説明できるのか。安易に指導者の言説に酔い身を任せた者に責任はないのだろうか。むろんそれで骨石が免罪されるのではない。
オセアニアは泣いているのか。易しい方へと流れてしまわなかったと断言できるのだろうか。流す涙は砂糖の味がしないか。苦い内臓スープを目を閉じて飲み込んでみるがいい。骨石は手を出した人妻が身をよじらせてもだえるように自身もまた同時に苦悶していたろう。このような世界の不条理に対して自分は何をすればよいのか。
ただ毎日毎日食っては寝てあいまに女子社員のスカートをまくって下着越しに陰部に触れてはささやかな喜びを感じるとは何という志の低さであろうか。下着越し、あまつさえストッキング越しに女陰に触れたところで触れたと言えるものではない。多くの女性はパンティストッキングをつけているのだ。このストッキングの上端は女性の臍より上まで肌を包んでいる。立ったままの女性に対してストッキングの上端から手を入れ、股間まで指をもぐらせるなどは至難の業である。まして生の女陰に指を触れようなどというのは窮屈でしかも嫌がる女性はぴったりと足を閉じているのでほとんど不可能なことだ。
そんな不可能事に対して骨石は果敢かつ愚かな戦いを挑んだのであろうか。毎朝女子社員の足を見て、ストッキングをはいていない女子を選別する日々が続いた、そうした日にもアジアでは多くの幼児や子供が親から廃棄され、多くは物乞いによって収入を得、その一部をボスに納入して生計を得ているのが現実である、生計といっても、親方に収めた上納金の残額は微々たるもで、かろうじて安いジュースの一杯も呑めようかという小額である。この矛盾と混乱の中で生きるということは自身矛盾した存在で在り続けなければならない。女子を横臥させればその身体に手を加えさらに衣類を剥ぎ取るなどの行為もしやすくなる。もっともその間女子が抵抗しないことが必要条件になる。オフィス内ではこの条件に当てはまる機会はほとんどあるまい。
経営者が、いつかはと狙いをつけていた新人女子社員を社長室に呼んで情交を迫ることがある。ドアの外には多くの他の社員がいるのである。そんな状況で午前中に欲情を催し今までろくに話もしたことのない新入女子社員を抱き寄せて応接に押し倒すというのは明らかに特異な所業である。経営者は女子の胸に手を伸ばす。その胸は小ぶりでありまだ少女のようであった。しかし新人女子は既に部下らによって検査済みのはずである。新人女子の入社後の心得については縷縷述べることになろう。
骨石の光景は世界中で日常的に繰り返されているありふれた愛の瞬間である。情交を迫り拒絶されながらも経営者は女子の乳房を揉みその感触を味わう。ここで悲鳴に気づいた他の社員が駆け込んできて引き離されるなら、この女の乳房を揉んだという事実と手に残る感触は永遠である。取締役会で責任を追及され解雇されたり閑職に追いやられてもその感触だけが生きがいになる。女子のほうは一生心に残る傷となる。こんな男に乳房を揉まれるなら、今朝の電車内で胸に手を伸ばしてきた高校生にもっと触らせればよかったのである。その男子は始め彼女の尻を触ってきた。骨石の遺志を継ぐものはいると信じる。
もし骨石の存在自体が永遠に葬られるとしたらこの世界は同じ永遠の時間だけ貴重な実在者の不在に苦悶することになろうと思われる。苦悶は独身男女の常備薬であるのに、多くの人は苦悶を除こうと無駄な努力をし、結果苦しみはいや増すばかりである。新入女子社員は痴漢の青年に乳房を揉まれてよかったのである。また社長室では制服の胸に手を入れられ、愛撫されてその嫌悪感に苦悶しながらも同時に足を開いて社長の指の侵入を受け入れる用意をすべきだった。無論、社長は面倒なストッキングを剥ぐために一旦は体を離して女子のスカートをまくり両手を尻の下に入れるだろうからその際には腰を浮かして脱がされるのを助けるのである。
そのような午前があり、まもなく昼食時間になろうという頃、別の午前も終わりかけている。上場企業の常務は豪華な執務机に向かって二十代半ばの女子に対して書類の整理を頼んでいるのだ。その女子は昨夜、恋人との激しい愛の行為に満足していた。行為中に彼は何度も彼女の裸体の写真を撮影していたが、その写真はまだ見ていない。永遠に続く私たちの愛の生活なのだから、写真を撮ってもよかったのである。ところが常務はその日の夕方、当該写真を閲覧する機会に恵まれ、新しい生きがいを見出すことになった。役員会は一ヵ月後で時間はまだあった。女子と恋人との関係は一ヶ月以内に終わり、以後女子は顔を隠して生活する羽目になるのである。
人間とは馬鹿なことを何度もするものである。つまり記憶力、学習能力というのは予想外にないものなのだ。同じ恥を何度もかき、同じ失敗を何度もする。写真を撮られて失敗したらもう二度と写真は撮らせまいと思うがすぐに忘れてしまうのである。つまり陶酔が記憶力を失わせる。判断力は当初からないので、そのとき人は動物並になるのである。愛する恋人と永遠の愛を理解ながらその恋人は借金返済のために女の全裸写真を売却したのである。それは美しくみだらな素人写真であったが需要はあった。素人は演技がないから真実が写っているのである。騎乗位で挿入したまま体をねじって背後からのレンズに視線を向けている姿は至上の美であり市場価値が高い。彼女は上場企業を退職し島根の郷里に帰郷して新しい恋人が出来たがまた写真を撮られた。歴史は繰り返すのである。
この繰り返しに飽くことがないのが人間であり人生である。写真は公園でベンチに座っているところを恋人が密かにライター型カメラで彼女の股間に向けて撮影した。たまたま彼女はミニスカートを着用しており写真は彼女の聖なる三角地帯を鮮明に捉えた。さらにたまたまその日は蒸し暑く、彼女はストッキングを履いていなかった。恋人が写真を拡大鏡で見ると薄桃色の下着からはみ出た陰毛が写っていた。男は欲情して自慰をしたのは言うまでもない。
薄桃色の下着は彼女の好きなものだったが男の情欲をそそるには十分である。骨石は色と材質にこだわったが多くの者は小さな事柄に関心を向けない。下着より上着、路傍の小石より販売用の庭石のほうが重大だと考えるが、内実は何も考えていないのである。下着にも上着にも関心はないのに、上着を考えたほうが下着より知的に見られるだろうと愚かにも考えるのである。何の根拠もない愚論だが民衆とは根拠のないものなら見た目の大きい物の方が偉いと思う。卑小より偉大をというのは一見正論に見えるがこれにも根拠はない。
下着は直接陰部に触れているが上着はその下のいくつかの別の衣類を隔てて体から離れているから階層が上位だなどとはまったく無知蒙昧な考えである。西アジアの民の姿は人間存在の奥深さを感じさせるが大和民族は底知れぬ痴呆性から脱却しようとしない。
せめて昼食時には勃起しないようにと思っているのに、陰毛のはみ出た写真を見て以来男は日がな脳裏にその映像が焼き付いて困っていた。仕事場では別の女子社員にさえ例の画像を当てはめて欲情していたのである。なかなかの想像力である。
自身の想像力に辟易する者と比べ、想像力というものを見たことも聞いたこともないという人間は幸福であろうか。扇情的な衣類や下着姿、音声に対しても特段の気分の高揚も降下もなく平常心のままでいられるというのは一見知的に見える。驚かないというのが知性の証と思っている人種である。
性衝動も興奮もない。感動もないし落胆もない。希望などは食べたことがないからなったく関知していない。もとより、特に関知するものなどもひとつもない。このような多くの無気力人間の中で骨石は戦いつづけたのである。無論、何より自分自身と戦ったのである。そして敗北を喫したのは言うまでもない。
神に興味のない者に神の教えを熱く説くのが信徒の務めなら、世の無関心な人々の中で土くれのように扱われたのが骨石であった。骨石の敵は何より骨石自身であったが、その次に位置するのが無関心な人々であった。
無関心な人々というのは、何に対しても無関心なくせに感心な者に対しても無関心を装い、熱くなるのを嫌悪する。まるで熱くなると自分の財産が目減りするかのようである。同時に熱い人に対して軽蔑の視線を向ける。人を冷遇するのが優秀な者の務めであるかのようである。
暑くなると人は冷静さを失うのは世界情勢とその歴史が証明している。冷たくなるとどうなるかも同様である。中庸ならどうかというと大和民族の歴史の通りである。人は少数派もまさに生きている人間だということに気づかないか気づきたくないか気づかないふりをして責任が降りかかってくるのをあらかじめ回避しているのである。責任は重責にある人が負うべきで蒙昧な民は食って寝て性交していればよいのである。その結果は人類の歴史の通りである。
問題なのは無知蒙昧の民が妙なところで知的に見せたいと願い始めたときからおかしくなったと骨石は説く。性交が好きなら性交ばかりすればよい。嫌いならやらないでおけ。ところが性交ばかりするのは人間として恥ずかしいのではないかと蒙昧な民の一人が思ったとする。意外にもこの考えは一瀉千里で世界を渡り蔓延したのである。性交は口にするのがはばかれる悪事となったのだが、やめることは出来ない。
本能に逆らうと精神に異常を来たし生活が破綻するというので、新入女子社員は社長室に呼ばれたときにはストッキングの股の中心を裂いておくべきであると説く者はいても多数派にはなりえないのはこういうわけだからであると骨石は言っている。
経営者にとって新入社員の中でも堅苦しい性格の女子を嫌うのも同様の理由からである。面接では清楚な雰囲気と真面目な面持ちでよいと思ったものの、行為が容易でないのは実に困るのである。歓迎会では酔いに任せて乳房を揉んだものの、それ以上のことは出来なかった。本人も初めて飲んだ酒で頬を赤く染めていたし崩れた膝からのぞく太股が経営者を扇情していると見たのだが、宴会の際には行う機会が作れなかった。二次会で専務と重要な打ち合わせがあったからである。打ち合わせは有意義な結果になった。
骨石の思想は長い不遇生活の中から実感として生み出されたものである。先人たちの偉大な業績を咀嚼し、骨石の独自の観点から組みなおして体系立てたものではない。経営の立場から新入女子はすみやかに応接室で股を開き、社長の愛撫を受け入れるべきである。思想の原点は経営者は理念を持ち写真を撮影し独自の美を追求すべきということなのだ。抵抗は終始適度にすべきで、腰を振って反応したりしてはいけないし逆に棹をつかんでこすり上げるなどとは問題外で即日解雇である。
しかし世は知的人間のみを優遇する傾向から脱却できない。偉大な骨石の思想も朽ち果てて歴史の谷間に埋もれていくのであろうか。他の無数の消えていったもののように、彼の艱難辛苦から苦悶呻吟の末に七転八倒して右顧左眄しながら激しい射精にも似て怨念のこもる思想の継承を如何にすべきであろう。
消えていくものは消え行くべきものだと骨石は述べている。己の哀れな運命を達観しつつも尚未練を残し瞼に最後の希望の画像を焼き付けているようだ。無理もない、挿入寸前に踏みとどまって腰を引いてしまったり女陰からあふれる愛液をすすりながらそれ以上に暴虐をできなかった骨石である。身を引き裂く悔恨の渦に揉まれて底なしに落下しながら同じ揉まれるのならこの勃起した陰茎を揉んでくれと何度も叫んだのである。
しかし彼は暴虐の限りを尽くしたかったのではなかった。中庸の行為で満足だったのであるが、愚かな女はそれさえ拒んだ。実に蒙昧な者だと言わねばならぬ。このような愚かさは全世界に満ちている。ただでさえ愚かな人生の初期において、愛すべき者の行為をやんわり拒み男の性欲を生殺しにして恥じないとは万死に値する。
骨石はこうした不条理を激しく嫌悪し、弾劾した。悪の論理、差別主義、学歴主義、金本位制、血統優先、財産の独占を忌み嫌い己は無一物で通した。言葉より肉体を、約束の前に身体をと繰り返し懇願したがついにろくなものを手に入れられなかった。取得したものはその後二束三文で売り払われた。彼は求めて伸ばした手首の先を切り落とされたのである。
日常的なものは卑近であると多く語られる。そうであろうか。真に卑しいのは最も富める者だと骨石は言っている。最も美しい身体を持っている者はそれを共有すべきである。美は神が造りたもうた造作物であり指導者は歓迎会の席で新入女子に挿入してよいとは不文律である。無論それは別に整えられた夜具のある部屋か好みに応じて畳の上でもよい。
性行為に慣れていない女子は部長職によって女陰をよく舐めさせ愛液を分泌させる。その後指導者が挿入するが部長職は席を外し隣室との隙間からお局社員と共にその行為の目視をしつつお局社員と性交をしてもよい。お局社員は常時複数を待機させて随時行為に加わるべきである。
骨石の偉業は多岐にわたるが常にその脳髄の中に留置されていたのは純粋な美の概念の構築であった。その雄大な構築物はついに完成に至らず未完成のまま朽ち果てて歳月と汚泥の中に埋もれたのである。下着に伸ばした指が陰毛に触れたかと思うと手を叩かれたような屈辱である。骨石の慙愧を思うと涙を禁じえない。世は屈辱を与えた者に安穏な生活を保証し、屈辱を受けた者にさらに果てしのない茨の道を用意するのである。
新入女子は初めての挿入の後には勤務に精励し、社長室で愛撫を受けるのである。もし歓迎会以前に経営者以外の男と行為をなした者は経験者として特別待遇を与えられる。高貴な者として連日連夜の接待係りの重責を担うのである。そのために女陰は大きく開き黒ずんできて世にも奇態な姿になる。実に面妖なものであるがお局社員の見習いになれるのである。経験の有無は歓迎会の席で判明するのでそれを偽ろうとしても無駄である。
若さが罪というなら若くない者は無罪か。無論若いよりは罪は軽減される。歓迎会の席で太股をかいま見られるのは若い女子のみであるが、若くないのに肌を過剰に露出している女子は罪がある。心は若くても問題ないしむしろ奨励している。問題は幼い心と太すぎる太股の過剰な露出なのである。人は見たくないものを無理に見せられることほど苦痛なものはない。逆に一番見たいものがよく見えないのでもどかしいのである。電車の向かいの席で制服の女子が足を開いていることは稀である。居眠りをしている女子が知らずに軽く股を開き加減でいる時、男はその奥をもっと見たいと思い、熱望し、切望しながらついにかなえられないのが現実なのである。
係長は新人をよく観察すべきである。それは主に斜め前方、背後からの観察を中心とする。そしてその所感を課長に提出する。課長は新人女子の股間を見る権利が与えられている。それは歓迎会の席で向かい側から見てもよいし障害物があるときは取り除いてもよい。新人女子はその視線に気づきながら股間を隠してはいけないが大きく股を開いてもいけないのである。股間をよく観察した課長は所感をしたためて部長の席へ行く。
部長は課長と語らいながら係長と課長の所感に目を通す。しばらく課長と話した後、さりげなく席を立って新人女子の背後に座る。新人女子は同期の新人仲間や先輩と話しており、既に頬を薄桃色に染めている。部長はその姿を好ましく背後から微笑しながら眺め、機を見て新人女子の乳房を触るのである。当然新人女子は軽い叫びを上げるが部長を振り返った時には笑顔を見せなければならない。部長はこの行為を数度に渡って行い乳房の感触をよく味わって自席に戻り所感を書いて専務に渡すのである。
専務は会社の全業務を把握し統括しなければならない。部長から三通の所感を受け取った専務はそれらを酔眼にて目を通しよく意味を汲み取ってから新人女子の背後に回り、よろけたふりをして女子の体に覆い被さるのである。謝罪の言葉を口にしながら、専務は女子の乳房を揉み、首筋に舌を這わせ、さらに股間に手を差し入れて太股をさすり女陰の辺りをよくこするのである。
専務が周囲の人々の助けを得て起き上がり、女子も恥ずかしそうに座りなおしたときには専務は今得た情報を頭の中で整理しておかなければならない。この場合判断の障害になるのがやはりパンティストッキングであるが、これは新人女子のそばにいて数年上の社員の責任になる。歓迎会にはストッキングはご法度であることを新人に伝えておかなければならないのである。
無論下着はつけてかまわないし奨励している。旧式のストッキングならば腰周りは剥き出しなので下着越しに女陰の感触が分かるが、腰全体を覆うパンティストッキングは問題外の代物なのである。既に課長によってその旨の所感は記してある。もしパンティストッキングであるとの報告であれば、専務はより念入りに女陰辺りをさする必要があるので、この連絡に行き違いが生ずると重大な責任問題になって数人の社員が解雇される事態が発生するのである。
この後前述のようにようやく新人女子は社長との最後の面接である交接行為に至り、初めて正式に社員として雇用されるのである。骨石は不安な人生をその胸中に抱えながら壮大な思想と女の乳房を抱き揉みまさぐることを夢見て果てた。私は慨嘆に絶えない。かように純粋な魂がかつてこの地上にあっただろうかと。否、多くの人々は己を偽り、誤魔化し、曖昧に問題を先送りして結果何もしないで来たのだ。
そんないい加減な世界の様相に骨石は失望し、いらだち、激怒し、諦観しつつも尚わずかな希望の光を見出そうとしたのである。それは蛍の光だったかもしれない。窓の雪だったかも知れないが、骨石は学ぶことを忘れなかった。人妻だから愛してはいけないと自慰にふけり、大量の精液を射精しては後悔した。むやみな暴虐行為を自制して痴漢時には指の挿入は差し控えた。
倫理観の欠如による世界の不合理性に誰よりも怒りの声を上げたのも骨石であった。しかし骨石自身は合理性のみを優先したのではない。不合理、不能率、不採算な存在であることは自身十分に認識していた。であったが終生それらの呪縛から逃れることができなかった。どこまでいっても能率は上がらず、要領が悪かった。晩年には能率を蛇蠍のごとく嫌い、採算を口にする者を呪った。
だからこそ骨石は飽くことのない真実探求にいそしんだのだろう。目で見て分からないものは触れ、触れて理解できない部分には指を挿入し、果ては陰茎の挿入に至ったのも必然である。自室で怠惰な寝姿をさらけ出している若い女性には容赦なく正義の鉄槌を下ろした。だらしなく下着を見せて股を開いて寝ている姿に勃起しつつも理性を失わず、ゆっくりと全裸に剥いた。眼前に現れた裸体を鑑賞し、これには少し悪いところがあると、その肢体の品評さえする余裕があったのである。その後はすばやく愛撫の手を女の全身に伸ばす。女が目を覚ましてはいけないからである。
人は究極のところ他人には関心がないものである。首尾よく性交渉に持ち込んでも、土壇場で豹変する女は数知れない。各国の政治情勢、外交姿勢などと同断である。乳房を揉み、女陰を舐めているときには甘い声を出していても、挿入時に変に拒絶するのはまったく理解できない。容赦なく腰を突いて陰茎を根元まで挿入して激しく腰を使うべきである。
この挿入時に拒絶するという悪しき傾向は多く新人女子にあることを指導者は知るべきである。だからこそ先に縷縷述べたような歓迎会の形式をもってその思想矯正に努めなければならない。個人の思想信条などというものは簡単に矯正可能である。数回腰を使って責めるなら翌日には既に自ら腰を振ってあえいでいるのはよく見られる有様である。
かくこの世の地獄を見た骨石は如何にしてよく生きるかを思い悩み白い肌の悩ましさに苦慮し無数の自慰をなしてはつかのまの快楽に空洞な胸をかきむしって自己嫌悪したことだろう。自ら選んだ道ではあったが何度後悔し後を振り返ろうとしたことだろう、だが、彼の後ろに道はなかったのである。
その荒涼とした丘の向こうに一条の光が見えたのは小さな川であった。骨石は文学性豊かな資質を持ち、感性は終生青年のようにみずみずしく新鮮だった。衰えていく己が陰茎を恨んだものだが、人生はいつも手の届かない木の果実のようなものであろう。常に新鮮な新人女子を求めたが真実の果実にはついに手が届かなかった。
新人ではないのに純情可憐な風情のある女子に心惹かれて乳を揉んでしまったことがある。ついしてしまったことだがその女子は大騒ぎをして退職した。豊かで弾みのあるよい乳房であった。無論、制服の上からであり下着もつけていたのであろうがそれを感じさせないほどに豊穣さをたたえた乳房であった。
骨石は何度も後悔を繰り返しては自慰にふけり、数え切れない量の涙にくれた。女子の乳を急に揉んだことで問題視され、解雇の憂き目に遭いそうなときに救われたのはその女子が別の男性に陰部を触られたことであった。その馬鹿な男は女子が小便に行く途中で羽交い絞めにして便所の中に引きずり込み、下着を下ろして女陰に指を入れたのである。否、入れようとしたが狭くて入らず、物音に気づいて駆けつけた警備員に取り押さえられたのである。警備員は女子の濡れた女陰を見て勃起したが、それは小便のしずくであったことは言うまでもない。女子と警備員は退職した。
人生が苦難の連続ということを骨石は人生半ばを過ぎてようやく気づいたのである。一体自分は今まで何をやってきたのかと後悔に屋上屋を重ねる思いであったろう。世界情勢も政治状況も混沌としており、まとまりがなかった。それが世界のありようだと知るまでに長い歳月がかかったのだ。女子がよい指導者に恵まれて正しい道を歩むことも容易なことではない。
悪い指導者に遭遇した女子は哀れである。小便と汚辱にまみれて辱めを受ける屈辱に耐えてこそ真実の道に進めるのである。歌もなく花も咲かず湿潤した陰部を下着に包んでもなお降り注ぐ酸性雨に打たれて労働しなければならないのだ。頭脳労働は人を白痴にする。愛する人に抱かれてうっとりとしてはいてもいつかは自堕落で緊張のない日常に飽いて上昇志向に目覚めても実のところ何もしたくないのである。
何もしたくない者が大多数のこの世界で骨石は何かをしようと決めたが、その道は平坦ではなかった。自堕落な生活は繰り返され目標のない人生はつかの間の享楽に寄り道させる。
新人女子に象徴されるように人の道は調教次第だと骨石は悟った。流行でなく急行で急ぐのでなく己だけの道を行けと言うがそれが一番困難を伴うのである。まず下着の中に手を入れるまでが最初の関門であろうか。無論、舌を絡めあう接吻も乳房を揉むことも乳首を直接舐めたり吸ったりしながら徐々に愛撫を下腹部へと移行することも忘れはしないが、その際の状況作りも重要である。
やみくもに進むしかないとまったく頭を使わずに体で押す式がもてはやされた時代もあった。結局最後は体次第としか考えられない旧時代の思想ともいえない思想である。骨石は己の虚弱な身体を顧みて問題は論理と身体性の融合する一点にあると考え、その解明に挑んだ。電車の中では女子の股間と乳房にのみ注意を集中し、顔面は次善とした。勃起した陰茎を女子の太股から股間へと押し付け、辟易する女子の頬に鼻息を吹きかけた。己のみ先に達して下車するのをよしとした。
重要なのは意思の疎通であると骨石は常々考えていた。これは意外に人々が軽視しているのである。意思の疎通と精通は人生の根幹である。新しく生み出される作物はすべて遺作であるとの考えからだった。精通から苦悩が始まり、性欲の昂進、夢精、自慰、暴虐へと至った。問題は過程なのだったが、人々は結果のみを求めた。結果とは所詮消え行くものである。飽きるほどに女陰を舐めまわしても舐め切る思いのしないのと同様、根元まで挿入しても虚弱な陰茎は感動をしないのである。
まず恥の時代といわれる暗黒の時代が骨石にはあった。余人は知らず、その最暗黒から骨石は出発したのである。世に言う青春時代こそ骨石にとって汚辱の時代であった。大和民族は建設の時代でわが世の春を謳歌し、女子は太すぎる太股を長すぎるスカートで包んでも尚見誤らぬ巨大な臀部を揺らして巨獣のごとく絶滅の気配もなく街を闊歩していたのだ。哀れな陰茎を隠すのが精一杯の骨石であった。下着の中に指を入れるどころか下着そのものを目の当たりにするまでまだ長い年月が必要だった。
それが「骨石肖像」1972年からの空白の13年間である。長いといえばあまりに長い暗黒時代であったが、彼の苦難は実はまだほんの入り口であったのは以下年譜に略記してある記述からだけでも想像できるであろう。
骨石の小説作品の大半は不条理な時代と女子への糾弾及び性欲解消のために書かれている。みじめに断ち切られた恋愛、それは己自身の弱さももちろんだが当該女子の頭脳程度の不足、さらに優柔不断な性格と太い足首を持った惨憺たる身体性に起因していると骨石は考え、それら暗い過去からの勇気ある旅立ちと再生のマニュフェストとして敢然と筆を執ったのである。
小説「停頓する色欲」は破恋に見舞われながらもまだ停頓するには早い性欲旺盛で連日のように自慰しながら筆を執っていた。原稿紙の上が精液でしみだらけになるほどの精力だった。おそらく失恋がなければ彼はこの時間を完全に本番性行為に向けていたろう。腰が抜け腹筋が痛みながらも連日行っていたであろうそのあり余る力がこの作品の行間からまるで女陰からしたたる愛液のようににじみ出ている。
回りくどさや煩雑さもかまわずに書き殴るような迫力を感じるが、同時に己が姿を冷静に観察し、性愛に溺れかけながら行いの仔細を丹念に書き継ぐ筆力はさすがに最暗黒の13年間孤独に耐えながら蓄積したものと失恋の1988年以来の切磋琢磨を感じさせる。
作品にも書かれているが最初に女子の下着をじかに目にし、感動しながらもその股間に指を滑らせる描写は青春の気概に満ちみずみずしい。しかもその日は問題のパンティストッキングの上から股間をさすっただけでこの日の性的行為は終了だったとはなんという愚かさであろうか。自嘲の言葉に胸がふさがる思いである。私も後からこの一部始終を聞き、何故それだけで終わった、遠慮などせずに挿入まですればよかったのだ、と酷な評価を与えたものだ。当時の骨石の性的心情やその後の経過も「停頓〜」につまびらかにされている。
自らの失敗した経験から表現者への道を選んだ骨石が大量の射精量と抱えきれない慙愧とを生涯の十字架として負い続け茨の冠を外されることはなかったのだ。血と汗と涙と排泄物にまみれながら骨石は己の信じるほかはないその道を進んだ。待ちわびて行き暮れて辿る道の暗さに立ちすくむ黄昏、何度もしゃがみこんでは嗚咽をこらえきれずに号泣にまで至る夕間暮れ。後悔しても尚繰り返す失策の多い骨石であった。
論理の構築に生涯を費やしてついに夢はるかにかなわなかった骨石だったが愛することの苦しみは誰より多く知った。毎日のように愛してはかなわぬ想いに胸を焦がし慟哭しては滂沱の涙にくれた。せめて愛液で股間を濡らしたいと何度神に願ったことだろう。否、神を恨んだことさえあった。恨んでも恨み切れずまた後悔して神に詫びる毎日の中で骨石は成年女子はすべからく通常は股間を閉じているべしとの古典的見解に至った。
無論、女子は昼間は勤務に精励し、機に応じて随時欲求の応対に心がけねばならない。常に進取の気がまえを忘れず必要なときは股間を開くことも重要である。骨石の古典主義は前衛からの撤退ではなく思想の普遍化であり必然の道であった。閉じた股間の奥を希求して指を伸ばしたらその中指を断ち切られる苦行の末に骨石は学んだのだ、女子は常に濡れるわけではない、しかし股間は開いたままがよい。短足女子は太股が太いのでより大きく開かねばならぬ。細身で貧乳の女子は高慢に見えぬように妻子ある男性との堕落した関係を継続しながらも純情男子からの要求は速やかに受け入れて二股膏薬の後終局、結論の曖昧なまま郷里に帰郷してどうということのない人生の後半を送ればよいのである。
骨石の作品に繰り返し聞こえる通奏低音とはくぐもったような怨嗟のうめきである。その聞き取りにくい響きゆえに対象が何なのか最初は容易に理解できないが、やがて激しい性欲の発散を求めて自慰してはさらに実生活では得られない快楽を文字の上で実現し深い満足を味わおうと希求し続けたのだと了解する。
ところが実体験のほとんどない者の想像力には限界がある。ろくに性体験のないまま性豪のごとき描写を試みてもそこにリアリテーの欠けることは否めない。そこを骨石は力技で押し通し欠如するリアーリテーを行為の数の論理や力学の法則を強引に応用して崩れ落ちるアイデンテテーをかろうじて確立させようと願ったふしがある。それが成功しているか否かはこれらの作物を目にした者の判断に任せるほかはない。
しかし清楚に見える女子が果たして常に美しい心と女陰を持っているかどうか、さらに豊かな乳房をも抱えておられるか、繰り返される行為を経なければ分からないことである。清楚に見えたその心もまた確かなものではない。人は己自身の反映を他者に見たいのである。もろくはかなげに映るその人の立ち居振る舞いは己の心のもろさはかなさの反映であり、実は昨夜恋人との変態的行為にしばし我を忘れて没入していた。女陰は何度もの激しい行為に黒ずみ陰唇が大きく開いている。愛する人に抱かれることは女子の至上の悦びであり砂を噛むような日常の中で唯一の人間復興のめくるめく瞬間である。
骨石はけなげで正直な生き方を愛し狡猾な行ないを憎んだ。人の前に出ることなく常に慎みをわきまえる女子をもまた愛した。深く愛しすぎて自滅したこともしばしばであった。愛し合う者たちに禁忌はないのであり、変態的行為は深い愛の行為に他ならないと信じたが、それを信じるまでには何度も苦悶して自慰を繰り返さねばならなかった。愛する人が大股開きで女陰を濡らし乳房を揉みしだかれてあえぐ痴態を何度も想像したからであった。その妄想は骨石の心身を打ち砕き一時は崩壊寸前であった。崩壊した方が幸せだったかも知れぬ。
希望だけはいつも捨てたことがなかった骨石だが、その希望がかなえられたことはなかった。股間に伸ばした指がついに陰毛に触れ女陰に届いたかと思えたがそれは陰唇であり尿道口からこぼれた小便のしずくであった。その陰毛の濃さに幻滅したことは「停頓〜」に詳述されているが恋人の陰毛は薄いものでありたかったのである。春霞のようにけぶる陰毛などは実はどこにもなかったのだ。恋人の陰毛は剛毛の密林であり黒ずんだ陰唇と濡れそぼる女陰に指を差し入れると愛液が音を立てたのであった。
先に触れたようにストッキング越しに股間をさすったときにうっとりと目を閉じていた女子の女陰からは愛液がにじんでいたろうに挿入行為にいたらなかった日、当該女子は帰宅後に下着の股間に染みを見たであろう。それはいくつかの月日をそこからさかのぼったある日々に別の男子との行為に濡らした染みと同位であろう。女子は愛欲の行為を経験していたが、その過去の事実には蓋をしていた。蓋は何枚も用意できた。蓋の存在に気づかなかったのは蓋というものを知らないからであった。骨石も無知蒙昧の輩であったのだ。
己の無知に苦悩し人はより知る権利があると確信した骨石は真実を追求する過程でこの世界には多くの虚偽や欺瞞が満ちていると知る。遅ればせにそのことに気づいた骨石はより深い苦悩に陥ることになる。
人は多くの虚偽や欺瞞にまみれそのことにいつか慣れ親しんでいることに気づかず虚偽や欺瞞と共でなければ生きられない体と頭と心になっているのである。女子は何度も新しい恋人の愛撫に酔い助手席の背を倒されて乳房を揉まれ吸われて甘美なため息をもらし股間を開かれて女陰に指を挿入されても暴虐ではなく愛の行為だと信じ続ける。男子は挿入と射精が目的なので濡れた女陰には即座に挿入したいがつい拒否されて仏ごころを出した瞬間に後悔の臍を踏むのである。
より多く知る者はより多くの苦悩をも知ると骨石は悟ったのだったが多くの人は苦悩もなげなのに骨石は首をひねったが自身無数の苦悩の末に至った境地を思うと苦悩の果てには平常心に近い平坦な土地が見えてくると知った。
人が青春と呼ぶ一時期に骨石は女子の手も握ったことがなかったようだ。初恋から始まった恋愛史の大半はもはや死語となった純情の一言といえる。あの時あの場所で手を握りたかった、あそこで乳房を揉んでもよかった、股間に指を入れれば彼女は受け入れただろうにと繰言をしては自慰をする最暗黒の時代。青春が永遠に続くと思った青春一直線の時代。老年となり青春を懐かしむ気分とは程遠く大量の後悔の記憶のみ多くなった者の悲惨である。
そうした悔いの多い人生上の失敗から来る自己嫌悪を如何に正当化し生き延びる道はないかと模索しつづけた骨石はとうとう表現主義に至って尚苦悩し続け安穏な道には進むことが出来なかった。時には背にのしかかる十字架の重みを感じながら無垢な魂の新入女子に対してその白く柔らかな乳を揉み吸い右手を股間にすばやく滑らせると拒否に遭うこともあった。
骨石の純情は常にもろく打ち破られるのであったがその所作に卑しいものを感じさせたかもしれない。女子には真摯さを理解してもらいたかったが性急に体を愛撫する中、衰えかけた己の性能力が消滅する前に行為を貫徹させるために未だ湿潤以前の女陰に指を挿入したり陰茎を押し付けたりした。逆に下着の姿を必要以上に凝視しつづけたり下着の上から舌を執拗に這わせて飽くことがなかった。
純粋な表現者として全うしたかった骨石は脳裏から離れない様々な人生の光景を作物に焼き付けつつ同時に記憶から消去しようと試みた。それ以外に生き延びる道はなかったかのようであった。このやみくもな方法は皮肉にも彼の苦悩を増す結果になった。彼の瞼の裏には終生女子の下着姿の股間が消えず、やわらかく盛り上がった乳房の形と指先に触れた濃い陰毛の触感が残った。指を女陰に挿入するとあふれた愛液が淫猥な音を立てた、そのときの恥ずかしい感覚。それらを青春の墓標として葬るには骨石の魂は無垢に過ぎ、生活者として不向きであった。
芸術も生活も不全なまま骨石は消え去った。いっとき軽侮してやまなかった前時代の伝統主義者ほどの生活の探求力もないまま自家中毒に悶え苦しみ自己批判、内省の過程に耐え切れず、しかし麻痺していくセンシティブを認識しながらそれを強く否定しようと不倒の前衛性を強固な無意識の中に試みる均衡を保とうと努めた。それは日常性の中で急襲を受ける。
急襲に骨石は新入女子を凝視することなく見通そうとした。だが、問題は新入女子の身体になく、若さと溌剌さとは直接に関係しないものだと悟らねばならなかった。若鮎のような精神は確かに若い時代にあって当然だがそれを意外に持ち得ない者も多くあると骨石は知って愕然とした。長い間求め続けてきたのはただひたすらに女子の身体であったのにそれが弛緩した精神と怠惰な股間、見通そうと試みた薄暮の果てには暗黒しかなかったとは骨石の落胆は大きかった。
まるで何億年もの虚無のように骨石は暗澹となったに違いない。出口の見えない不安に恐れおののき消え入りたいとさえ思ったであろう。無論、思っただけで人間は消えることは出来ない。銀行の窓口辺りでは客のスラックスの女性が豊満な下半身をはちきれんばかりにたわわな臀部をさらして歩いているその姿にもある種の美を感じるまでになった骨石であった。生きとし生けるものにはすべて美がある、それがわからない者には表現者の資格はないと骨石は考え、その真実を確信した。
何故なら、パソコン教室に受講に来るかつての恋人、今は人の妻になった女性を指導しながら再び愛してしまうおのれの姿を見て自慰したからであった。一度は激しく愛し八つ裂きにしたいほど憎んだ女性であったが、パソコンに向かうけなげな身体に劣情を催し、今は容積を増したかに見えるその体にそっと触れ、いやいやをするようにくねらせる腰を抱き寄せてしまったのだ。彼女ははじめ抗ったがそれは虚弱でおざなりなものであり進む愛撫の手を振り払うものではなかった。
モニタには空しくスタート画面が映り続け、省電力のために暗くなると二人の痴態がほの暗く見える。既に人妻は大きく足を開き下着が片方の足の膝あたりに残っている。今、まさに男の陰茎が女陰の入口に差し込まれ、女が拒否の声を上げながら腰をうごめかせた。その瞬間、すべての陰茎は膣内に挿入完了し、行為の端緒についた。それから長い時間が経過し、しどけない姿で横たわる人妻は後悔と悦楽の狭間にたゆたっていた。逆流した粘液が女陰から教室の床に流れ落ちて臭気を立てた。講師の骨石は非常な満足感を得ており後戯に女の乳房を揉んで意味のない言葉をつぶやいていた。軟弱な骨石の腹筋は後刻痛み出すが、次の講義が唯一の楽しみとなった。
こうしてかりそめの行為に燃え、数度の交わりを経るとお互いは再び愛し合いなくてはならぬ存在に陥るのも無理はなかった。骨石は愛の不条理にさらに苦悩することになる。互いの理性を語り合うことはなく、つかのまの情念こそが究極の愛だと誓い、虚無の時間と空間は瞬時に縮まった。がしかし骨石は知っていたのだ、永遠なるものの真の儚さともろさを。それは虚無を経験した者のみ知りうることであった。かつて挿入した女陰にまた深く己が陰茎を埋没させ激しく腰を使う時、あるいは粘着質の愛撫に飽きることがなかった豊かな乳房を揉み吸いいとおしむその瞬間、虚無はやってくる。
それは偽りの愛だと降ってくるように心の中に衝撃が走る。愛は不変だと叫んだあの日々がまるで嘘のように色あせては陽炎の中に消えていく幻影を見て骨石は戦慄した、愛しすぎたその乳房も太股も足首もうたかたに過ぎない、足の指さえ舐めてしゃぶった、白い下腹部から濃い陰毛を含む陰部からはあまやかな香りが立ち上りかぐわしさに陶酔しながら舌を這わせた秘部からは愛液があふれていたのにこの世界において数々の繰り返される愚行の歴史の中で塵芥のように消費される現実に。
実に時は冷厳だと骨石は思った。かつて在った時も現在も今後在る時も同時にこの世には偏在するのだ。呪うべき過去もいとわしい現在も想起せざる未来も平均に存在する中で人は学ばねばならない、瞬間の激情に身をゆだね、あられもなく声を上げて悦楽に溺れよ、その向こうには疲弊した性器が露出しているに過ぎないと。そうでさえ見よ、人は愛しつづけてやまないこの世界には無数の淫楽があふれているではないか。
だが淫楽は人生の成功を担保できるかと骨石は悩んだ。世界には淫楽を主因として失脚した者も多い。しかしそうした者がその後性行為を嫌悪し遠ざけ尽くしたかと聞けば決してそうではあるまい。失脚の後も尚暴虐に走り我を忘れみだらな行いに自身のアイデンテテーを確保しようと躍起になってある者は中央線で痴漢行為に生きがいを見出してやまぬ者も歴史には残っている。混んだ列車の中、おとなしそうな女子の尻に手を這わせ、その若い肉体の息吹に胸をはずませて己が陰茎を勃起させ先端から液をにじませる陋劣な輩はさすってもさすり切れない隔靴掻痒の想いもだしがたく悶え苦しみ陰茎を女子の尻に押し付けて願わくば射精に至りたいと請い願うが容易なことではない。
尻はさすってもあくまで着衣ごしの愛撫に過ぎず、そこに想像力の入り込む余地があるし逆に想像力なくしてはやっていけない。貧弱な想像力を駆使して可能な限りリアリテーを飛翔させんと骨石は粉骨砕身戦い抜いた。そして当然のごとく敗北した。鬼畜のような性根の持ち主である骨石には見え透いた結末であった。もし、骨石が勝利するような世界はそれこそ最暗黒の世界であり、倫理の欠如による社会の崩壊に至る。
骨石の事蹟は抹消すべき歴史の汚点である。汚点は直ちに移転しなければならない。新入女子に勃起した陰茎をみだりに押し付けたり、無防備な状態の執務中の女子の乳房をまさぐったり、あまつさえ下半身に手を伸ばして股間の中心をさすったりと暴虐は留まるところを知らなかった。
羞恥を知らず、己の卑しい心を見透かされるのが嫌であえて豪快さを装い、常に不健康そうに虚弱さを強調して女子の体を触ろうとしていた。あわよくば乳首を口に含みたいと熱望したが車のシートに押し倒す際に手際が悪く、どう愛撫を進めていいのか分からないまま着衣の上から乳房をまさぐろうと手のひらを胸にのせるとその豊かなたっぷりとした感触に思わず揉んでしまった。
軽い叫びを上げられるとそれによって情欲が昂進しなおも乳房を揉みまさぐる。陰茎は硬くなり着衣の中で張り切っている。拒否の意思表示は適当なところで留め置こうとしていた考えを打ち消し最終地点までの到達に駆り立てる。止めどのない肉欲のほとばしりに早急に女子の下半身を剥こうと努力するが狭い車の中では思うように動作が出来まい。せめて射精までと露出した男性自身を女子の下半身にこすりつける。ストッキングをつけたままの女子の太股に陰茎を押し付けて二度三度動かすと濃厚な精液が勢いよく流れ出た。
その瞬間女子は太股に流れ出た粘液の耐えられぬ汚泥感に嫌悪を感じたが、挿入されぬ前に行為の終わりが来たのに安堵したのは既に行為の意味を熟知していたからである。男にのしかかられたのは数度の経験がある。いずれも好きな男ではなかったがついと体を開いてしまった。一度許せば二度三度の行為が続くのはやむを得ず、三度四度となると痴戯に愉しみを感じてくる。男との荒淫が生きる歓びとなっていった。自分の上で男が激しい往復運動の末に絶頂に至って女陰の奥に陰茎を打ち付けて果てたことも数知れない。無論この上に覆い被さっている男の胸に後悔と共にある種の達成感と解放の心持が湧いたのは言うまでもない。しかしそれは小さな塵芥のような喜悦に過ぎない。
骨石は終生このようなささやかな悦びのみを求めてそれさえも得ることが出来ずに仕舞った哀れな人生だった。何故こうであったのかわからない、人知れぬ深い罪の咎としか思えない。しかし純粋な女子の幻に精液を放つことが悪であろうか。その毛深い陰毛の奥に透明な指先をもぐりこませくじり開いて愛撫することさえ許されないのであろうか。であるならどうしてあの女子は恥ずかしげもなく数度の行為に喘ぎ声を出し足をからませて男の動きに応えたのであるか。あふれる淫液をすする男に手もなく股間を開いて黒い陰茎をくわえ込ませたのか。
骨石は破綻した論理を取り繕うために無駄な努力をし続けたのだ。努力は実にならず逆効果となりさらに悪い結果を生んだ。彼の作物はほとばしる性欲と創作意欲の産物ではあったが出来は良くなく市場へ出せる代物ではなかった。よく言ってガード下通路の壁に異常な熱意で殴り書きされた性的落書きと同等レベルである。見る者は見るが見ない者は見ない。見た者は感心するかもしれないが唾棄するかもしれない。もし唾棄するほど見られたなら幸いである。骨石こそ唾棄すべき者であった。落書きは永遠に顧みられることなく放置されやがて消滅する。骨石もそうなるのが良いのである。
ここに私は骨石の偉業をたたえ広く世に顕彰する機会を持ち得てその任を全うしたつもりである。
合掌
(了)